たくさんの祝福のコメント
ありがとう〜〜〜。
先にインスタで発信させていただきました。
12月9日仏滅。
一緒になって3年目。
うちのパパとママと同じ結婚記念日に
籍を入れました。
いつにする〜ってなったんだけど
お父さんとお母さんが死んでも
一緒に祝えるのがいいなって。
しかもなんだかんだ仲良しな
夫婦の縁にあやかりました。
しかも仏滅なんて最高に
整ってるやないか〜。
仏滅はよくない日という人がいっぱいいるけど
わたしは仏滅に運気をぐっとあげる
気を感じる。
タロットカードも死のカードが
最高にいいと思ってる。
特に何かをスタートされる時には
良い。
結婚はウェルダン!!じゃない。
結婚できた、とんとん。じゃない。
結婚は始まり。
スタート。
だから、仏滅がいい。
いろいろ整理をつけて
断捨離して、ゴーーーの日。
是非、何か始めるときは
仏滅で!!
ご参考までに。w
私たち的には、住民票をどっかへ
写すぐらいな気持ちだったんだけど
周りが思いのほか
めちゃくちゃ喜んでくれて
びっくりしてます。wふふふ。
ほんとありがたいことです。
え??みんなして
席入ってるかと思ってたって。
たぶん、ひろしといっしょに
なった時にブログでも
籍を入れずやっていく話を
したはず。。。なんだけど。
私も良く覚えてない。
籍を入れなかったのは
籍を入れることが、
自分たちの気持ちとか、決意とか
子供対tの責任とか
変わらないと自負していたから。
最初は、どこの人?
旅人??
おちづ大丈夫なん?
え?みたいな。感じで
心配しかされなかったけど
この3年、ひろしのことも
知ってもらえたと思うけど
誰もが
ほんまにひろしでよかったな〜。
こんな良い旦那さんで。って。
前の旦那と別れた時に
他人に、ぜ〜〜〜たいに
ご主人、ええ人そうですね。
優しそうですね。と
口が裂けても言うまいと
思っていた。
なぜなら前の旦那が
家と外で人が違うほど違うかったから。
でも、ひろしは違う。
家も外も一緒。
何も変わらない。
全員に平等。
誰の肩ももたない。
そんな男だ。
なぜ今?って感じだろうと
思います。
さかのぼったら
さかのぼりまくりますが
さかのぼりまくったら
本が一冊できそうなので
ちょっとだけ巻き戻して。。。
ストーリーを。
興味ない人はここで
さいなら〜〜〜〜。
知ってる人はいるとは思うけど
私らは
私の親の3人で住むような家に
7人住んでいて
ドラえもんでも呼ばないと
家がでかくならないし、部屋が増えない。
まさか、こんな家族が増えるとは
思ってなかった。
そしてありがたいことに
すみれも授かって
すごい量の人。
今はいいけど
それでもあと数年。。。
家を構えないとな〜と。。。
それで今年色々
土地を見たり、中古物件を見たり
空き家バンクに登録して
内覧したり。。。。
でも、土地は蓋を開けたら
詐欺レベル。
中古物件を見にいくたびに
生気を吸い取られて
1、2日ぐらい寝込むし。。。
まあ、流れでなんて
ひろしも私も思っていたけど
思うだけでは何も始まらないし
何にも出会えないし、
なにも動かない。
だから、動いた。
でも、追い風が吹く。
これは、家に俺ってことか??
いろんな人に県外移住も
押されたけど。。。
なんか魅力も湧かないし
気分も乗らない。。。
そんなある日の朝。
ひろしが、
ねえ、お父さんとお母さん
家建てる計画してるって。
え!!!!!!!!!
どういうこと??
あるじゃん家。
畑のある庭に自分たちだけが
暮らせる小さな長屋を建てるんだって。
は〜〜〜〜????
ちょっと待った!!と
階段を登って
朝から言い争い。
今、建てる意味あるん?
私らが邪魔なら家出てくし
この家をリフォームすればいいじゃん!
今から一から家建てるっって。。。
どんだけ金いるか知ってるでしょと。
あんたに一円も迷惑かけんし
ほっといてくれと。
でも、ここまでが
いつもの母と娘。
今まではそうだった。
でも、なんかお母さんと
ずっとうまく話せなかったのに
ひろしがずっと潤滑油になってくれて
ちょっとずつお互い
家族のために歩み寄ってきた3年。
私もすぐに目が覚めた。
冷静に。
で、どんな家を建てるん?と。
そうしたら、お母さんが
少女のような顔で目をキラキラさせながら
こんな家にしてな。
近所の仲のいいよく似た歳の
奥様方と縁側でお茶したり
家族でバーベキューしたりなと。
もう二人とも70歳に近い。
年的にも死が近い歳。
今更、1年もすめんかもしれない歳。
家はあるんだから。
そんな家を建てられても後始末が
困る!!って思った。
でも、、、。
家ができて、お母さんとお父さんが
楽しそうに友達を読んだり
畑をしたり、、、。しているのを
想像してみた。
そっか。
明日死ぬかもしれないし
20年以上生きるかもしれない。
それは誰にもわからないし
若かろうが年寄りだろうが
それは同じこと。
そんなキラキラしたお母さんの
姿を見て
すぽーーーーーーーーんと
臍の緒が取れた気分で
すごく爽快だった。
あ、そっか。
私が依存してたんだ。
私たち家族が出て行っても
お父さんもお母さんも
全然悲しくない。
そっか。
そうだよね。
私は私の家族と
人生を歩んでいかないと
行けなかった。
それは随分前から。
私が前の旦那と結婚した時に。
でもできなかった。
東京で前の旦那と長男と
3人で暮らしている時に
18歳からずっと家を出てた
わたしが
あ。。。違う。
この人と、こんなところで
人生終わらせたらあかん。
私はお父さんとお母さんの
子供として円を持って生まれてきた。
この縁のある人と
一緒に毎日一緒にいないと
あかんやん。って。
思って、旦那は好きにすればいい。と
子供と一緒に特使前戻ってきたのが
15年前の話。
あの時、気がつくべきだったけど
その人としか結婚したことないし
そんな気持ちになるのは
相手を愛していないということに
気が付けなかった。
でも結果離婚したけど。
今は前の旦那とすぐに別れないで
ずっと居たことであんじが生まれた。
あんじは産まれてくる。
絶対に私のものへ産まれてきて
そして、彼の前世のお母さんに
引き合わせるために
わたしはひろしと出逢って
運命がす〜〜〜〜と進んでいった。
上で、神様が
人生ゲームみたいなボードの上を
眺めているかのような。。。
ひろしと出会った時。
私はちょうどちょっといい感じに
付き合ってた人と
仕事終わりに、今後どうしていくのか
話し合う日でもあった。
私はおなじ徳島なのに
2時間半もかけていかなければいけない
高知県の県境まで
石鹸を作る原料の
有機の藍の葉を調達しに行った。
ひろしは旅中の一休みを
その場でしていた。
ちょっとお互い紹介
しあっただけ。
そのあと、
そこに住む友達の妹と
歌を歌いに浜辺へ行った。
私はその日、彼と会う日で
どう言う話をしたらいいのか
悩んでいて
ぼそっと彼女に言った。
わたしってさ、重たいみたい。って。
ただ相手に一生懸命
突っ込んでいるだけなのに。
うまくいかない。。。。
そしたら、彼女が言った。
おちづ、愛って重たいよ。
って。
その言葉が渡りの胸を貫いた。
そうか。。。
重たいの当たり前か。
だって愛だもんな。
そっか普通か。
離婚した後に
仲良くしてくれているお姉ちゃま方に
おちづ。
どんな人がタイプなん?って。
ん〜〜〜〜〜。
優しい人がいい。って言った。
そしたら、めっちゃキレられた。w
おちづ!!!!
優しいんやな、あったりまえ!!
あんたはなにをいうとんな!!と。
私も負けない。
は!!!!優しい人やおらんもん。って。
そしたら
優しいやいう条件、当たり前。
いっぱいそんな人おる!って。
どこにおるんよ!!って
言い争ったな〜〜〜。w
そして、ひろしと一緒になった
数年後。
な、おちづ。
優しい人おっっただろ?って。
はい、その通りでしたと。
いやおらんけどな。wとも
まだ思うけど。w
私はひろしは
神様からのギフトだと思う。
そうしか思わない。
恋愛はいろいろしてきたけど
いくら好きでも報われない時もある。
でも今思う。
寛と一緒になるために
ずっと報われなかったんだって。
すごい痛みが強い恋愛も
結構したけど
それを今。
あんな傷ついたけど
あ〜〜〜あんなん屁でもなかったなって。
ひろしと一緒におれるなら
思いっきり傷ついたこと
全然悔みなし。
そっか。
こう言う人と一緒に
いるべきだったんだな。って。
お父さんとお母さんがいなくても
寛がいればいい。
そうならないといけなかった。
親は順番的に先に逝く。
親離れを
ひろしがさせてくれた。
わたしは若い時は
破天荒だったけど
一人娘で、
お父さんとお母さんを
愛している。
でも、世の中は
みんな巣立って、
親元離れて家族を作って
生きている。
私にはそれができなかった。
でも、なんか
すーーーーーーとした。
ようやく準備ができた。
お父さんにも
お前らも早く家見つけて
出てけよって。
笑って言ってくれた。
ひろしにお父さんが
お前には感謝しかない。
ありがとう。と
頭を下げた。
娘さんを僕にくださいではなく
どうか娘をよろしくお願いしますと
先に言われた。w
徳島で11年お店を営んでいて
移動するなら、徳島県内って
思っていたから
徳島を探してたけど
ひろしと改めて
移動の話を重ねるうちに
店もだけどさ。
あんじ。。。
中学校。
どうしようか。。。って。
あ、そっか。
まだまだと思ってたけど
もうあと4年か。
今は学校の中にある支援学級へ
たま〜〜〜に心が頑張れなくて
休んだりはしているけど
ちゃんと通っている。
あんじが
学校へ行きたくないと
言ったことからはじまった。
発達の検査も受けた。
軽度だけど、
この歳ごろの子はこれぐらい理解できると。
そういったものが
ちょこちょこできないと。
発達に対しては
何が発達なのか。が
すごく難しい。
この話をすると長くなるけど
いろんな発達に関しての
情報や本を読むと
人間全員が発達なんじゃないかと思う。
だから。
難しい。
いくら、勉強ができたって
いくら人とコミニケーションが取れても
社会に出た時に
え?なんでこれができないの?ということが
できない大人がどれだけいるだろうか・・・。
だから、難しいと思う。
子供の養育にかんして
親が握っている。
どういう環境にいさせてやるのか
どういう支援を受け指すのか。。。
放置もしかり。。。
うちの子は別に普通。
ちょっとなになにが苦手なだけ。
あんじは、きちんと
何事にも理解と支援ができる
環境が大事だと
私たちは思っている。
頭も悪くない。
むしろものすごい賢いんじゃないかと
思う時がある。
いろんなことに興味があって
調べて、ものにする。
今は食べたこともないのに
おれ、フランス料理のシェフになりたいと
言っている。
フランス料理食べに行こう!!って
言っている。
食べ物にとても興味があって
休みの日のお昼は自分で
ランチを作るしね。w
氷はなんで溶けるの?
宇宙はどこにあるの?
ガラスと鏡ってどうやってできてるの?
何が違うの????
質問だらけ。
そして、ひろし〜
おれ、漢字もっと知りたいから
ドリル買ってと言う。
おもちゃで遊びながら
漢字ドリルをしている。
おもろいやつだ。
この探究心、行動力を
もっともっと伸ばしてやりたい。
そして、自分たちで
そんな学校はないかと
探してみたら
なんと、茅ヶ崎に
そう言う学校があった。
また後付けと言われるかもしれないけど
あ。。。。
やっぱり、やっぱりそうだった。
この子がひろしをわたしに出逢わせた。
引き合わせたんだって。
ご贔屓にしてくれている
お客さんには大変申し訳ない
気持ちもあるけど
私はお店を始めた時から
わたしは子供のことを
第一優先として
子供の用事があったり
病気をしたりしたら
休みますと。
当時、周りによく言われた。
お前な、お店が土日休みってなんなと。
今はそういう子供主体で
お店を営んでる方も増えてきた時代だけど
当時は、子供を店になんて。。。
でも私は店で乳を飲ませ
おむつを変え、寝かしつけて、
商売を続けてきました。
この地区にしたのも
子供が学校終わったら
帰ってこれるようにと
この地区に決めた。
そんな、行き止まりのような地区で
商売いけるんか?と
いろんな人に言われたけどね。
だから。
今回も子供のために動きます。
子供がいない時は自分のために
動き回ってきたし
これからも死ぬまで動き続けたいけど
今はステイです。
我慢ではなくて。
それが産んだ意味。
子供ができたら何もできない。
自分のこと何もできない。
辛いって。
思ってた。
でも、そんな子供たちに
人生をキラキラせてもらってる。
子供が全員また別に
家族ができるまでは
私の人生をかけて
彼らに自分の人生を注ぎたいと思います。
なので、
本当に申し訳ない。
それだけが心残りですが
徳島県で
ずっと私のことを愛してくれた
お客さんには
足を向けて寝れないほど
支えられています。
でも、友達でもないし
家族でもない
大事なお客さん。
むしろ、友達にも打ち明けられないような
ことも私に言ってくれる。
腹割って話をずっと
してきた。
お客さんであって、店主ではあるけど
ずっと独身、結婚、出産
そしてその子供達の成長を
隣で見させてもらってきた仲。
友達でも仲良しでもない
不思議な関係。
わたしのことを
勘違いして去って行った人もたくさんいる。
それは事実。
はっきり物を言うし、きついときもあるだろう。
態度もでかいし。
でも、おちづは
ほんまのことしか言わない。
嘘がないから付き合えるって
ずっと通ってきてくれている。
学生時代の私に
教えてあげたい。
あんたのこと、だれもが
言うこと聞かない、わがままだと
人と同じことができない子と
あのこと友達になりたくないって。
ずっと言われてきたけど
もう違う。
愛されているのが
わかる。w
本当に幸せ。
店も畳んで
浩の実家に行こうと思ったけど
みんなに絶対にやめないでほしいと
言われた。
もうかけがえのない物。
って。
ありがたい話。
誰もこんな店作ってくれへんから
自分で作った自己中な店が
こんなたくさんの人に愛されて
支援されている。
湘南でどんなふうな形でまた
店再開するかは何も決めてないけど
chitreeはずっとやっていこうと決めた。
何も決まってないのに
決めたのは
私なりの人生の流れのビックポイントが
そこだって見えたからだ。
行ったこともないロンドンで
住む!!って決めて
めっちゃ働いて、家も決めずに
ロンドンへ行った。
東京もそうだ。
家もないのに東京へ行きます。と
告げ、東京へ行った。
段取りが大事だけど
なにかこう。。。
なにもなくても、いける!!って
気がしてならない。
わくわくしかない転機が訪れる。
あ、絶対に楽しいって。って。
湘南もそうだ。
宏に出会ったのは
湘南が読んでくれたんだって。
勝手にそう思ってるけど
満更間違ってもないと思う。
そう言う流れが3年前から
決まっていたんだ。
出会った日はたったの2分程度。
そんな人と
自分の人生をかけて愛することになるなんて
全く予期しなかった。
でも、ちゃんときた。
そんな出会いが。
できちゃった結婚も必然だった。
おろそうと決めた長男は
徳島を出ずに
お父さんとお母さんのそばで
暮らすという。
どこでも経験のために
いけといっても聞かない。
ずっと前から、お父さんの
会社を継ぐと。
じいじの会社は俺がする!と。
お父さんもかじばのくそじからで
一代で会社を作って
今大成功している。
でも一人娘で
後継もいなかった。
だけど、孫が継いでくれる。
まだまだ現役。
ゆあんが社長になるまで
ワシは死ねん。と。
活力だ。
お母さんもゆあんがいるから
あんたはいらん。
と。
ゆあんのことは任しておき。
あんたはひろしと一緒に
生きなさいと。
ええ、親に育てられました。
そして、こんないい子を
作ってくれた
ひろしの父ちゃんと母ちゃんと
感謝です。
ひろしのお母さんとは
実ははより生活思想が価値観
生き様がよくにているので
安心している。
実のお母さんと叶わなかった
ことが、ひろしのお母さんと
一緒にできること、
徳島を離れても
子供たちを愛してくれて
そばでいてくれる家族と
ひろしがずっと地元で
生きてきた中で出会った人たちが
いる。
だから、何も決まってないし
湘南という未知なる場所で
店をするということに
不安が一切ない。
戸籍を今回入れた理由は
移動のためではなくて
なんか法律に丸め込められた感じで
すごく嫌だけど
これからお互い何かあったときや
子供のことだったりで
戸籍上家族でないとダメなことが
結構あるんだよね。
そして、来年
chitreeはひろしが
代表になります。
わたしはコマ使いの魔女になります。w
経営とか数字とかまるで
法律つか。。ちんぷんかんぷんで
ほんとひろしが店に来てくれなかったら
潰れてたね。間違いなく。w
ひろしに店を任せることにしました。
そおいうこともろもろで
籍を入れました。
湘南移転はまだ先です。
私の美容学校が終わるまで
徳島にいます。
なので2年はいます。
そして、あんじが6年生までには
湘南へ移動する予定です。
人生は将棋であり、チャス。
3手、4手、5手先まで
決めていく。
行動はその場でいい。
まず決める。ことが大事。
失敗はない。
決めたこと、それが結果。
ゆあんは私を親にしてくれて
徳島に帰るきっかけを与えてくれた。
あんじはひろしを引き寄せて
私と出会わせてくれた。
すみれは、病気を持って
身体を張って家族をひとつにしてくれたし
人は当たり前に健康でウマラえてくるとは
ただの奇跡でしかないということを
教えてくれた。
そしてひろしは
すみれという子供に出会わせてくれて
家族を一つにしてくれた。
そして私たちを
湘南へ連れて行ってくれる。
次のステージ。
ひろしと一緒になったとき
二人で決めたこと。
1年後はびっくりするような未来で
あること。
想像してなかった人生が
待っている人生にしたいと。
それが私たち夫婦。
なんてことない日々。
でも、毎日同じご飯を食べて
同じ部屋で寝ることが
めっちゃ幸せだと感じる。
どんなに好きでも
家が別だった恋人たちと
付き合ってる時に思った。
一緒にいつも居たいって。
それが叶ってる。
毎日のことすぎて
きっとそれが当たり前に
なっちゃうけど
違う。
毎日同じ家にいられるなんて
すごく幸せ。
ひろしのお父さんから。
ひろしのお父さんも
ひろしに負けず劣らず
人間味の深い人。
祝い酒に
いただきました。
私の字もひろしの字も
改めて見ると
演技の意名前だこと。w
また新しい旅が始まります。
旅の準備にどれだけ時間がかかるかは
わかりませんが
引き続き
このブログで人生の日々を
綴っていきます。
chitreeは私の一部。
私はchirteeの一部。
もう一つ、私の目標は
5年ぐらいまでに
本を出したいなと思います。
そして50歳ぐらいで
小説を書きたいなと思っています。
それを出版するかどうかは別として。w
趣味としてね。
物語を書きたいな〜〜。
小学校の時
物語を書いていたことを
思い出したんだよね。最近。
あと、私の目ですが
どんどん悪くなってきています。
矯正ができないので
見えにくい。。。
みんな視力が悪くても
矯正ができる。
私はできない。
今回、免許更新で
なんとかメガネを作ったのと
適当に言って通ったけど
いつだめになるかわかrない。
そういう生活のことも
寛と話をして
田舎より
都会がいいかもしれないと。
足さえ健康ならとりあえず
どこへでもいける。
都会は良い意味でも悪い意味でも
変な人は目立たない。
私は目立つ。
昔から。
もう認める。
でも目立ちたくて
やってない。
ただ、派手なもの、ことが
好きなだけ。
ただ人目を気にせず
好きなことをしたら
目立つ。
あんじもだ。
支援学級に行かせたくない理由が
いじめ。
確かにそう。
残念ながら。
あんじはまだ小学校2年生。
だけどそれでも、疎外を受けている。
そんなのっておかしい。
でもそれは子供たちではなく
差別を作っているのは大人。
コロナでわかった。
田舎でコロナに感染したら
村八分に合う。
圏外ナンバーなんか石流れるし。
田舎は好きだ。
徳島ももちろん好き。
でもそういうところが
小さい時からヘドが出る。
アメリカへ行った時
ロンドンへ行った時
東京へ行った時。
なにがよかったって
自分のことを誰も気にしない。
だった。
私がどんな格好だろうか。
なにをしてようが
誰も気にしない。
それがとても心地が良かった。
きっと湘南へ行っても
コミニティーがあるし
いろんな差別はあると思う。
でも、見方もたくさんいると
思う。
私には味方がいなかった。
ずっといなかった。
今は家族がいて
私を愛してくれる人がいる。
でもやっぱりちょっと外へ出たら
矢が飛んでくる。
どこへ行っても
そうかもしれないけどね。
私の場合。w
でも人がいっぱいいる。
母数が多い。
あんじに今の人もいるし
あんな人もいるし。って
世界を見せてあげられるのは
徳島より神奈川。
彼の疑問にすぐに
行動ができる。
近くにたくさんあるから。
ほな明日行ってみようって。
でも徳島なら、いちいち
どこへいくのも時間と
お金がかかる。
しかもしょっちゅう県外へは
行けない。
彼の探究心を
止めたくない。
そして徳島には
帰る芭蕉がある。
帰っってきた時に
家族が泊まれるように
新しい家には客間を作ってくれるそうだ。w
これからたくさんの人を巻き込んでの
人生の旅。
もちろん良い意味で
みんなを巻き込んでいくよ〜〜。
そして、湘南へ
私に会いにきて欲しい。
すごく嬉しい〜〜。
機会を与えれる。
動くことはリフレッシュになる。
私に会いに、関東へ遊びに来て欲しい。
悲しまず、それをワクワクに変えて欲しい。
一緒に旅の流れを楽しんで欲しい。
そんなドキュメンタリーを
見せれることもワクワクです!!!
というわけで
突然かもしれなけど
突然ではなく
このタイミングで
カミングアウトしました。
びっくりされた方もいると思います。
いつ移動するかはわかrないけど
湘南へ移ったら
徳島の人ももちろんですが
関東県のお客さんも
お店にきて欲しいです。
あ〜〜あなただったのね!!って。
また、移動の話は
動いた時にその都度
ブログにて報告していきますので
今後とも
おちづとひろしの人生を
面白がってください。
ちなみにまた報告しますが
徳島のタウン誌の新刊
めぐるという雑誌の
第二弾今月もう直ぐ発売に
ひろしのインタビューが
掲載されます。
旅がテーマで
ひろしに話が来ました。
ひろしのことが
よりよくわかる記事になってました。
すごい〜〜。
楽しみです!!!
ひろしは湘南で
私と出会わなければ
旅が終わって
湘南おラジオでMCを
する予定だったし彼は
本当に活動家なんです。
また湘南へ帰って
そんな活動を再開して欲しい
そういう願いもあったので
湘南へいくと決まったことで
いろいろ整ったのが
すごくハッピー。
さ〜〜て。
これからどうなるか・・・。
まあでもまだ最低でも
2年入るので
さびしい〜〜とかつらい〜とか
すぐにお別れみたいな
しみじみはやめてね〜〜〜。w
まだまだおります。
何度も言いますけど。
いる間に、どれだけ
徳島のお客さんを
教育できるか。
ビシバシいくのでよろしくです!!
そして来年中に全てのスキンケア
完成させたい。
頑張るぞ!!!!!
マッサージしとしても
もっとたくさん勉強して
さらにいろんなことができるように
なりたい。
頑張ろ!!
お〜〜〜〜〜〜!!!