chitree organicが目指している事

心と身体は誰だって一つ。

 

一度壊れてしまうとそれを元に戻すのは容易じゃない。

ただ、修復できるときに気がつけば、いつだってリセットができる。

 

本当に身体と心を健康にしていきたいなら本気で自分の身体と向き合うしかない。

 

自分の不調に耳を傾けながら生活したら食べるもの、使うもの、生活の質が自分を不健康にもするし老いを加速させるって事が自ずとわかってくる。

逆に、食べるもの、使うもの、生活の質が自分を健康にも、綺麗にもするってこともわかってくる。

 

まずは自分が今抱えてる問題を解決しながら、未来の健康な自分になるにはどうやって生きていけば良いのかを身体の内側からのアプローチはもちろん施術やキャンドル&アロマセラピーを通じて外側からも整えていき心と身体を内・外の両面から自然の力で健康に導いていけるようにおちづを頼ってきてくれた人には施しはもちろん、日々の自分自身での意識と自覚、そしてちょっとした異変にきちんと自分自身で気がつけるようにコーチングします。

 

誰かや、何かに頼るよりわたしの望みは、みなさんが最終的には自分で自分をコーチングできるようになることを目指しています。

店主おちづのプロフィール

【略歴】

1980年11月28日 徳島県徳島市出身

 

・16歳でアメリカロサンゼルスへ

・高校を中退しバイト三昧の日々を経て18歳で単身イギリスロンドンへ。そこで、ハーブやアロマという植物の力を直接体験。

・東京で前夫と出会い長男を授かり徳島へ戻る。

・出産・子育て・自身の病などをきっかけに身の回りのものを整えだすが、どのショップにも当時自分が欲しいものがなく、まずは身の周りにある調達できるものから自分で配合したスキンケアや生活用品をお寺の定期的に開催される手作り市で販売を開始。

・その半年後、知り合いの雑貨屋さんの一角をお借りして自分が使っているものを販売しならブログスタート。

・2009年 chitreeをオープン

・2014年 いまの店舗へ移転

・2020年 chitree organic「身体と心と肌と髪と健康を自然の力で導いていくお店」にリニューアル

 

 

はじめまして、chitree organicの店主おちづです。

 

縁あってこのHPに訪れてくださったみなさんに私という一人の人間がどんな人生を歩んできてどんな想いでこのchitree organicというお店をしているのか。

そんな事をここで書いていきたいと思います。

 

いまのchitree organicがあるのはこれまでの決して平坦ではなかった人生の道のりがあったから日本社会の「みんな一緒」「目立つな」「右向け右」そんな環境にどうしてもなじめなくて苦しんだ子供時代。自分の力でなんとかそこから抜け出そうと海外へ飛び出し、東京へ行きもがいた青春時代。

 

そして自分の命より大切な息子を授かり人生の意味が大きく変わり自分でお店を始めて世の中へメッセージを打ち出しはじめた創業時代

 

次男の誕生や前夫との離婚やお店の移転と変化の清算時代

 

新しいパートナーと娘の誕生とお店のリニューアルという挑戦と成長の今

 

とにかく、みんなと一緒というのが何故か嫌だった。

みんなと違うことがしたい、みんなと違うものが欲しい。

一緒に何かしようとか言われても自分を曲げることも嫌だった

 

私は私

そうやって生きてきたこれまでの人生

その私の人生の物語の中に、みなさんへ伝えたいメッセージがぎっしり詰まっています。

お客さんにはよく「おちづさんだからそうできるんですよ」なんていわれるのだけど、私だって沢山、転んでケガして血を流しながら、それでもくじけず一歩一歩進んで今がある。

そんな話を読んで少しでも勇気づけられたり日々を生きる元気を少しでもわけることができれば、わたしにでもできるわって思えれるヒントを散りばめていけたらとここに書き記しています。

 

少し長くなってしまうけどよければお付き合いください。

 

徳島県の徳島市で生まれ、一人娘として育ちました。

お父さんは建築屋の親方でお母さんは看護師をしていて小さい時はお父さんの仕事のバンの後ろに乗ってついていき過ごすか、お母さんの勤める精神病院の託児所でほとんど過ごしていました。

小学校時代は共働きの親だったのでいわゆる鍵っ子

ひとりで家にいることが多かったから、お人形を着せ替えして遊んだり当時エレクトーンを習っていてリズムをつけて、大音量にしてがんがん曲を弾いて、優越感に浸ったりとにかく妄想空想をしながら過ごす時間が多くて一人遊びが大得意で今もずっとその感じです。

 

春、夏、冬休みはテレビもない、五右衛門風呂、ポットン便所の植物と虫と生き物だらけけの徳島の人でも行ったことあるのかないのか??

徳島の山奥の秘境に住むおばあちゃんの家に預けられおばあちゃんとの共同生活。

思い返すと、あの時期に自然が溢れる環境で過ごしたのは、いまの自分に大きな影響を与えている気がする。

 

初潮を迎えたのもばあちゃんちの真夜中のポットン便所の中。

「おば〜〜〜〜〜〜〜ちゃん!!」

って叫んだけど、もちろん紙ナプキンなんてものは存在せず。w

いまでいう布ナプキンて言う奴の雑なバージョンを渡され手ぬぐい切ってパンツに挟むってことを経験。

あれは一生忘れられない思い出。w

 

小学校1年生の時から風変わりだったのもあり、いじめがほんとすごかったけど

そりゃあんだけ変わってることしていたらまわりからは変わり者という目でみられるし今なら発達障害って言われてもおかしくないし

多分発達だったと思います。

 

小学校では、図書館か校長室か保健室に駆け込んでました。友達とつるむのが本当に嫌だったんですね。

たぶん、今思うとですが人の気が読めすぎてすごく辛かったのか、人と関わらなければいいってことに子供ながらに落ち着いたんだと思います。

 

中学校も先輩に目の敵にされ、何をしたわけでもないのにフルボッコにあったり、いちゃもんつけられたり。。。

まあそれはそれは大変でした。のび太くんみたいに目の周りに、丸く青タンできるなんて漫画の世界やと思っていたらまさか自分もそうなるというね。

あれは鏡を見ながら感心しましたね〜〜。

 

それでも、自分が間違ったことをしているわけでもない、へりくだったりペコペコなんて絶対してやるかって、絶対に芯を曲げることなく自分を強く持ってあらがいながら生きてました。

 

高校に通うつもりはさらさらなくて、小さい時からの夢が美容師さん。

 

みんながお嫁さんの絵を描いて、お嫁さんになりたいって書いてる同級生の作文を見ながら、わたしは絶対に自分の力で生きていくと当時リスペクトしていた美容室に弟子入りする気満々だったので高校生になる気がさらさらなく受験勉強もせず親に耳が塞がるんじゃないかってほど勉強しなさいと言われながら一切せず過ごしていたのだけど、どこでもいいから親に高校だけは行ってくれと言われ、落ちるとばっかり思っていた自分の学力よりはるか偏差値の高い学校に挑戦するも見事に合格してしまい、まさかの高校生活スタート。

だけど結局、あれをしなさい、これをしなさい。みんなとどうしておなじことができないの?と 高校へ通って義務教育で無くなったのに社会性がお前には欠落しているとか人権侵害に値するようなことも先生たちに言われ団体行動や組織の生活が合わず高校1年生の冬休みに、その当時大好きだったビバリーヒルズ青春白書のロケ地を見たかったのと小さい時からディズニーが好きだったので単身ロサンゼルスへゴー。

当時付き合っていた大好きな彼がわたしと付き合っているのに、新しい女といるのを目撃し、穴に入って、埋まりたいと思ったのも外国へとにかく逃げようと思った一つの理由。w

 

そして、初めて日本人以外の人に会い行った時の季節がクリスマスシーズンで街はキラキラと装飾が施されてなんて素敵な場所が世の中にあるんやと。

そしてロサンゼルスで触れ合った人々がはっきりと自分の意思表示をしている姿

イエスかノー精神に、ようやく私の好き嫌いは別にわがままでも、風変わりでもなかった

 

私の居るべき場所は日本ではないと勝手に思い次の年の春に我慢ができずまた一人ハワイへ。

面白かった〜〜〜。

一人でこんな子供がうろうろしているはずなんてないから現地の日系人にしか見てもらえず英語なんてほとんど話せないわたしにべらべらと英語をまくしたてるハワイアン。

 

あ、わたしどこでも生きていけるわと悟ったわけなんですけど、その年の、高校二年生の秋に高校を自主退学。

 

バイトオンリーで半年お金を貯めて足りない分は、親に土下座をしてお金を借りて(返してないけど)とりあえず行ったことのないヨーロッパ、ロンドンへ。

 

そこで、小さい時に擦り切れるほどなんどもビデオデッキで字幕もない映画アニーを見ていたのだけど、それのミュージカルを見てミュージカルにどはまり、ロンドン楽しい〜〜ってバイトをしながら、一軒家をロンドンっ子のゲイ二人とシェアしながら、いろんな人種や同性愛者達と関わりながら、いろんな世界を体験して気がついたら2年滞在。

その間にロンドンでスイスのプロスノーボーダーと出会い彼のスイスでの軍に1年矯正修行?国民の義務。日本にはないけど。。。それをまって2年のうちの数ヶ月はスイスで過ごしました。

それはそれは夢の世界でスイスはすごく裕福な家ばっかりで彼と一緒に住んでいた家の部屋のまどから毎日、小さい時に見ていたアルプスの少女ハイジの世界が広がていたし毎週山奥へベンツで登って行ったら、いろんな若者が楽器を持って焚き火をしながら、ダンスしたり、歌ったり、奏でたり、星を眺めたり。。。

素敵なひと時でしたがシンデレラももう終わり。結婚して欲しいと言われた時に「はっ」と目が覚め、わたしはスイスで暮らしたくないと別れをつげてロンドンへ帰る。んだけど。。。

入国審査で結局滞在期間が長すぎて強制送還で渋々日本に帰ってきました。

 

でも徳島に帰ってきても、すべてが若いわたしには刺激がなくて浦島太郎状態で、また刺激を求めて都会といえば「東京だ」と上京。

東京でバイトをしながら、外国で得た感覚である学歴は荷物にならないという言葉を改めて思い直しバイトをたくさん掛け持ちしながら勉強をして、大検を取得し東京の建築学校へ通うことになり、前の旦那に出会いました。

 

そして、長男を23歳の時に授かり、その9年後に次男を授かり長男小五の時に、「もうパパはいらない。捨ててくれ。」と、お願いされました。

「え!!!」ってなって「は!!」として

わたしはこう見えてものすごく気が長い。短気と勘違いされてますが一人っ子なので喧嘩とかしないんですよね。でもさすがのわたしも、ずっと耐えてきていたので私も「もういらん」ってようやく勇気が出てめっちゃくちゃしんどかったけど最高の離婚をすることができました。

 

周りからは仲がいいと思われていたので「えっ??????!!!!」って感じでしたが結婚しているのに、相手の悪口なんて言ったら自分の価値が下がる。

そんな男を選んだのかと。愚痴を自慢のように言う人がわたしは大嫌いなので自分はそうしなかったけど実はこんなんだったんだ〜って

後の祭りの話をちらっとするぐらいで最高の離婚〜〜うれし〜〜〜って。人生の歩みなんて、失敗はつきもの。先が見えていたら誰も失敗なんてしない。時間もお金も無駄にしない。それでいいと思う。失敗して反省して愚痴らない。後付けでいい。それでよかったんだと失敗を糧にすればよし。

 

そして花の4年独身貴族。

じっとなんてしてません。じっと待っていても異性と出会わない。ガンガン行くだけ。そしてガンガンいってましたがそんな中たまたま仕事でいつも絶対に行かない2時間半もかけて徳島の県南に行ったときに、たまたま日本を歩いて旅をしているという男性に出会う。

それが今のもう私の人生になくてはならないパートナー

ひろし。

そして、奇跡と偶然がすごく重なって9月に一緒になろうとお互い決める。ずるずるふわ〜〜といてもよかったけど、わたしはそんな県外の人のことをひたすら想い続けるとか無理やし子供おるし、次いきたいと。

だから、ぱすっと別れてしまおうと決めていた。

ひろしは9個も年下で彼だって神奈川という大都会でいくらでも人に出会えるし最初っから、ええ感じで結婚して子供を授かればいいと思っていたので一緒になるといったのはびっくりした。

今でもひろしはいう。

あんじがいなかったら、わたしとは一緒になろうとは思わなかったかもしれないと。あんじとは、真ん中の次男坊です。

彼は発達障害ですが、すごく心がピュアで本当に優しい子。

そんなあんじとひろしは前世で親子だったんではないだろうかと今思う。

 

そして、2017年11月にひろし徳島へ。

 

次の年の2018年2月の長男誕生日の日に妊娠発覚。

高齢出産だけどつわりを十月十日経て3人目を帝王切開で予定出産。3人とも帝王切開。無事娘を出産。

あ〜〜出産したと安堵した矢先、まさかの娘の心臓に穴が二つも空いているという事実を突きつけられました。

ただ結果論ですが、娘が持病を持って産まれてきてくれたおかげで家族全員が団結したし五体満足で生まれてくることが、どれだけ奇跡で尊いのかを子供を育てる上ですごく心を大きく突き動かされました。

生きてるだけで丸儲け。機嫌よければ何もいらない。病気さえしなければ後は何も望まない。

16歳の時に自分が腎臓を壊して入院した時に震える身体と頭がおかしくなるほど投薬されてボーとしていた時に神様にお願いしました。

お金はいりません。自分で稼いで生きていきます。なので、健康な身体をわたしにくださいと。

入院先の小児病棟で彼女の無事を祈りながら、大手術を経てたくさんの特殊な先天性疾患を抱えている子供達やその親の姿を目の当たりに退院する時に、二度とここへはきません。と言って病院を後にしました。

 

その後、次男の発達がわかり学校へ生きたいくないと言いだしてから2ヶ月ぐらい学校を休ませて、ひろしと二人でどうしたら彼のために生きやすい環境を整えていけるのか。。。

人生本当に一難去ってまた一難だけど、そこに必ず経験と学びがある。

今なお、人生生きていると刺客がやってくる。

あ〜またきたきた。

今度はなんの課題って思えるようになるまで時間がかかりましたが今はすごくしんどい出来事も自分を成長させる何かだと考えられるようになりました。

 

大病も煩い、出産も3回して結婚も離婚もして再婚もして、すいも甘いも割と早い段階で経験したなあと自分で思っています。

ちょっとやそっとのことでもディープな悩みでも偏見は持たず、人間の弱さや苦しさにも理解がある方だと思います。

性同一性障害、身体障害、発達障害

いろんな依存症や病の方に、たくさん出会ってきたしそんな世界も経験してきています。

そして自分自身小さい時から社会不適合者とレッテルを貼られても負けずと生きていたので、そんじょそこらのことではびくりともしないのでなんでも相談してきてください。

ただし、自分が提案しているもの以外の相談をされてもできませんので悪しからず。。。

 

そんな感じの人生を歩んで今を生きています。

chitree organicのこれまで

「chitree organic」がお店として店舗を構えたのは2009年

 

気が付けば10年以上お店を続けてきていまの形に落ち着いてサロンや商品を通してお客様の心や身体の健康の手助けをさせていただいているですが、

どんな経緯があってお店をスタートさせたのかよく聞かれるのでここで書き記しておこうと思います。

 

わたしは16歳の時から腎臓の腎盂がだめになり、しょっちゅう入退院を繰り返していました。

海外に渡ってもそれは変わらずで病気を治療するにあたり薬の恐怖を体験。。。

どんな恐怖かって?

40度も熱があるのに、薬を入れたら36度台まで下がる。でも数時間でがんがん熱が上がっていく

体が凍傷するんじゃないかというほどの寒気とカナヅチで頭をごんごん叩かれているかのような頭痛と薬の副作用で吐きまくって、胃液が緑になり、やがて血が出るという

そんな恐怖。

「神様。。。お金も愛もいりません。健康をください。健康な体で稼ぎます。健康な体で人を愛しますなので健康だけください。」と

何度横たわるベッドで願ったことか。。。

 

そして、どうして入院するのに治らないのか。。。何度も再発するのか??

そんな疑問を抱きながら生活し大人になって、「植物の力」という本に出会い植物で身体の不調を治していた時代があり

その中で現代でできることがアロマセラピーとハーブだったのだけど、10代でイギリスに渡った時に体調を崩し病院にも行けず苦しんでいたらルームメイトに「これでも飲んでみたら?」と勧められたのがハーブティー

その時はこんなにしんどいのにお茶!?って内心思いながらも、つらいのが良くなるならと飲んでみると

「すーーっ」と心と身体が落ち着いた。

「薬草の力ってすごいんだ。」って、実際に体験していた事を思い出した。

そして、それをきっかけに自分が使っている生活用品は、いったい何でできているのかが知りたくなり成分表を見ながら、原料図鑑みたいな本を読んで

ぞっとした。

「え???これ、アスファルトと同じ石油??石油??生活用品が石油??え?まじ?薬って石油何??飲んでた食べてたものにプラスティックが入ってる??は????」ってなった。

 

今思えば少し極端だったけど、家の中にあるもので石油由来なものを全て捨てていったら、コットン100%のパンツ二枚しか残らなかった。

明日からわたしは何を使って生活していけばいいのか?何を着て過ごせばいいのか??どこにプラスティックじゃないもの売ってる?って見回してみたら、、そんなお店当時の徳島には見当たらない。

どうしたらいいんだって、じゃあ、自分で作るしかない!って、作ったお店がこの「chitree」

お陰様で2020年で創業11年。

自分がこんなお店があったらいいな。で始めた「chitree」

 

chitree(チーツリー)という名前は外国にいる時のわたしの呼び名「チー」と樹という意味の「ツリー」を重ねて「チーツリー」と名付けた。

わたしの樹で涼むのもよし、実をとって食べるのもよし樹に登って寝るのもよし、雨宿りもよしっていう感じ。

いつもそこにあって、追いかけない。来るもの拒まず、去る者追わず精神のわたしの性格である樹。

11年前はオーガニックって何?

ハーブって?アロマって?って

本当に認知が少なくて、ネット環境も今より悪くパソコンを持っていない人は情報を得ることができない時代。広告も一切だしていないけど、ブログだけは11年間欠かさず書いてきて自分の思い、自分の生活、商品のことを書き綴った結果、全国各地から自分の生活を豊かにしたいというお客さんが関わってくれて、おかげさまで今年11年を迎えることができました。

 

お店を始めたばかりの時はオーガニックでナチュラルな天然100%の生活用品を扱っているお店だったのだけど東洋医学やいろんな医学書を読みふけるうちに、

わたしも直接身体を触って直したいとサロンも7年前にスタート

 

そして、たくさんの身体を触るたびに、ここが悪いってことはここにもアプローチしないとって、もっとできるようになることが増えたらなと、たくさんの手技を取得しながら現在も成長中。

 

小さなマーケットへの出店からはじまった「chitree」

お店を構えて数年後、いまのお店へ移転して商品も日用品から食品から生活に関わるあらゆるものが並び

お客様を直接触って癒したりほぐしたり一つ一つが全てつながっていまの「chitree organic」の形になっています。