産前産後奮闘記

まず今週の土曜日オープンですが

先週運動会が延期になり

今週の土曜日に代替えになってしまい

11時から17時営業のつもりだったのですが

時間変更で

14時から18時までの営業と

させていただきます。

今月は土曜日しか営業しないのにも

拘らず、変更ばっかりで

申し訳ないですが

宜しくお願いします。

今のところ、3週目、4週目の

土曜日は予定どおり

11時から17時とさせていただきます。

宜しくお願いします。

 

さて、さて。

先にご報告を

9月28日9時半

この徳島に

一人の女の子が

誕生しました。

 

。。。とその前に

遡り

予定出産の前の週のこと。

 

はい、こちら。

あんじくんです。

熱性痙攣にて

緊急入院。

もちろん腹のでかい私も一緒に

この狭いシングルベッドで付き添いでした。

 

まさかの。

まさかのフライング。

 

5日間ぐらい入院してた。

めっちゃしんどかった〜〜〜。

もう私の身体が限界に近かった。

ひろしと交代しながら

なんとかかんとか

無事お腹がどうにかなることなく

退院。

その三日後にまた入院。

今度こそ、私。

ふ〜〜〜〜って感じ。

息つく暇もなし。ってやつ。

 

でも、うまいこと予定入院から

外してくれたので

重ならなくって済んだのが

幸い。

 

あんじもなりたくてなってわけではないにしろ

うまくことを勧めてくれた。

これが、出産あとでも

大変だったし

ドンピシャならもっと

大変だった。

 

そんでもってうまいこと

この6日にあんじ最後の運動会。

これも、

あ〜〜入院と重なって

行けない〜〜悲しい〜〜って

ぶつぶつ1ヶ月ぐらい

言ってたんだけど

タイフーーーンがやってきて

中止になった。

店の営業を考えると

申し訳ない気持ちでいっぱいだけど

よっしゃ!!!!です。

母としては。

これで、観に行けるやないかい!!

わっしょい!!って感じ。

 

どの子も全力で

面倒を見たいし

手をかけたいし、

愛情を注ぎたい。

から、

なるべく、誰かが規制になるのは

避けたいこと。

だからよっしゃ!!です。

 

わたしらってなんかもってるなって

ひろしと良くいいんだけど

もってる。

 

バタンバタはしているけど

どうにかこうにか

物の見事に前に進んでる。

 

というわけで

入院の前の週は

もう、なんだろう。

股押さえて歩かないと

針刺すような痛みが

ぎゅんぎゅんして

歩くことも結構しんどかったのよね〜〜。

限界だったわ。

 

あれ、自然分娩だったら

そっから2週間耐えるってなると

身体が悲鳴をあげてたかも。

 

と、限界とはいえ

緊張するよね。

手術。

 

予定どおり、入院手続きを済ませて

産科病棟へ行くと

 

はい、個室ですね〜〜って

言われて

え???

個室なんて、この口から一言も

頼んだ覚えないんですけど。って。わたし。

 

え?????みたいな。看護師。

 

そしたらどうやら

個室とばっかり

思ってたらしく

用意したなかったみたい。

 

お産って、病気じゃないから

ほとんどの人が個室に行きたがる。

だからもう看護師さんたちも

書類も見ず、当たり前のように

処理してしまったのだろう。

 

で、今日はお産が多くて

部屋が用意できないから

待機室で共同部屋が

空くまでそこでいてくれと。

 

それで、待機室で

ごろごろんしていたら

看護師さんが

共同部屋が空くまで

申し訳ないけど

お金いただかないので

個室に移られますか?と

個室でもワンランクええ個室を

用意してくれた!!

 

超ラッキー。

というわけで

手術の次の日まで

個室でのんびりできた。

入院着に着替えて

最後の。

人生最後のぽんぽこ愛しいお腹。

 

3人もお腹で育てておいてなんですけど

本当にわが身だけど

不思議よね。

自分の身体の中で

人間ができるって。

そんで出てきたら

人間として機能しているんだから

本当にすごい。

人間ってすごい。

生物ってすごいよね。

 

あ〜〜最後かと思いながら

爆睡。

 

なぜなら前の日全然ねれなかったの。

いよいよか〜〜って思ってたら

寝付けなかった。

 

明日には管入れられまくって

切り刻まれて

あの激痛再到来か〜〜って

思ってたけど

うとうと。。。

でも入院当日は

ひっきりなしに訪問者。

看護師から、助産婦。

産婦人科のお医者さんに

麻酔科の先生に小児科の先生。

そして薬剤師やら

事務員やら。

それぞれに同じような質問をされて

繰り返し繰り返し。。。

 

どっと疲れて

気絶目で寝てたんだろうな。

 

朝、叩き起こされた。

超早い時間に。

 

なぜなら

手術トップバッターだったから。

 

手術に向かう

ちょい前にひろし到着。

 

ゆっくり話もできず

手術用の衣装に着替えて

いざ手術室へ。

今回は車椅子で。

 

もう、めっちゃ怖かった。

びびりまくり。

情けないけど

誰でも絶対怖いって。

 

ガタガタ震えて挑みました。

 

ちょっと待っては効かないのは

わかっていたけど

心の準備も結局できないまま

もう全員の話を無視することに決めて

誰かがなにか言っている〜〜って

どうでもしてくれ!!って

最後は考えるのをやめたら

気がついたら

終わってた。

 

気がついたら

どうやらわたしの手術中に

共同部屋が空いたらしく

移ってました。

ちぇっ!!!

 

でも共同部屋も

三日目まで誰も入ってこず

個室みたいなもんでした。

ラッキー〜〜。

 

手術当日は

もう何もできず

背中に麻薬を打ち

腕は点滴と痛み止めと

収縮剤投与。

足は血栓ができないように

ずっと

ぷしゅーーーーーーぱーーーって

音がなりながらわたしの脚のむくみを

とってくれておりました。

 

夕方ぐらいにやっと目が覚めて

天井見上げなから

あ〜〜〜大役果たした。

無事生還した。

奇跡や。

子供も無事産まれた。

わたしも生きてる。

奇跡。

すごい、良かったって

ずっとひろしにつぶやいていたと思う。

 

お産は当たり前に

お母さんが無事で子供が無事とは

限らない。

本当に。

 

入院して三日後に

隣に産婦さんがやってくるんだけど

彼女も朝方産んだらしく

下から産んだからか

すぐに母子同室で

赤ちゃんとっ所だったんだけど

次の日には母子同室じゃなくなっってた。

産まれた子に問題があったらしい。

だからずっと一人だった。

隣の産婦さん。

 

居た堪れないけど

毎日どっかの病院で

そういうことが起きている。

 

だから奇跡。

 

わたしはというと

二日目からご対面を果たした。

めっちゃ小さくて

くしゃくしゃで

ガッツ石松だった。w

 

赤ん坊はみんなガッツ石松に見える。w

 

改めまして

私たちに新しい家族ができました。

2600gの女の子。

名前は

ひらがなで

すみれです。

すーちゃんと読んでくださいね。

 

女の子とか男の子とか

赤ん坊の時はそんなこと意識できない。

ただただ可愛い。

授かって良かった。

産まれてきてくれてありがとう。です。

 

加増がスーちゃんの誕生で

また結束力ができた。

 

全員がメロメロ。

ゆあんはひたすら

可愛いな〜〜可愛い。

女で良かった。って。

あんじは

あんじなりの癖の強い感じで

あやしてくれたり

何をするにしても

すーちゃん、すーちゃんって

気にかけている

もう立派なお兄ちゃん。

こんな愛してやまない

家族と家族させてもらえて

本当に幸せすぎです。

 

 

とまあそんなわけで

戻りますが

2日目に尿道の管を抜くんだけど

1日待ってもらった。

 

トイレに歩いて行ける気が

1ミリも湧かなかった2日目。

 

激痛。

あほほど痛かった。

 

仰向けからピクリとも動けない。

2日目から、食事がやってくるけど

え?どうやってすわりゃええんですかい??って。

リクライニング機能を屈指して

起きたり寝たり。

それも激痛だっった。

ずっと麻薬を打ち続けてそれ。

これ、切れたら

どうなるの??って。

恐ろしすぎた。

 

ユアンの出産の時の印象は

とにかく尿道に管入れられるの

最高に痛いってことを知り

今でも覚えている。

あんじはユアンの時の尿道の件がが

あってはよ抜かな尿道が痛くなるって

思って早く抜いて

結果トイレに行くのが痛すぎて

トイレ困難に見舞われたことが印象深い。

 

そして今回。

3度目のお産。

とにかく子宮収縮半端なく痛いんですけど。。。

傷よりへたしたら痛かったかもしれない。

傷は炎症反応で

かーーーーと焼け付くような痛みだけど

収縮痛はまた違う痛み。

お産より痛いって人がいたけど

これか!!ってなぐらい痛かった

今も痛い。

まだまだ収縮最中進行形。

2週間経つけど

お腹はまだ6ヶ月ぐらいある。

子宮が元の大きさに戻るまで

まだ妊婦みたい。

知らない人は妊婦だと勘違いするぐらいの

お腹で出具合。

 

この痛みに耐えてこそ

お腹はへっこむけども。

痛いよね。

 

絶対安静と言われたり

動かないと治りが遅くなるとも言われたり

入院中も

3豆からスパルタ。

とにかく一番最初の第一歩。

ベッドから起き上がるっていうことが

一番の山場。

 

もう尋常じゃないほどの

痛みと戦いながら

看護師さんに手伝ってもらいながらの

ベッドから起き上がり、ベッドから降りる。

そして立つ。

ここまでが本当に痛かった〜〜〜。

 

そっから歩行器を使った

1ミリ1ミリ歩いていく。

トイレまで行く練習。

 

そこでようやく尿道から

管を抜いてもらう。

そして、麻薬も底をついた。

そっから激痛と戦いながら

1日前倒しで帰りたい一心で

めっちゃリハビリ頑張った。

 

なぜならば。。。

これも笑い話だけど

隣の産婦さんのいびきが

ひどいとかいうレベルをはるかに超えた

ひどさで

わたし、全く寝れず

すーちゃんのお世話で寝不足ではなく

隣から聞こえてくる

二輪でも蒸してんちゃうか

熊手もいるんちゃうんかと

思うような大音量の騒音で

3日間寝れず。

 

お医者さんにも看護師さんにも

入院してる方が休めていいのに

帰るん??って言われたけど

家に帰った方がねれらると思います。

だから帰りたいってお願いしました。w

 

子宮収縮痛も切開の傷痛も

病院にいようが家だろうが

一緒。

早く自分の大好きな寝床で

休みたい。

家の飯が食いたい。って。

 

そしたら最後の日に

カウンセラーがやってくるとのこと。

 

そんなん要りません。

必要ないですって言ったけど

帝王切開で産んだ産婦さんは

絶対にそれを受けないと

退院できないとのこと。

 

え??なんで帝王切開だけなん??

普通分娩の人はなんでいいの??

って。

 

そこしか気にならなかった。

 

だってどっちも産婦。

どっちもお母さん。

育児これからあるのも一緒。

 

なんで???って。

 

日本が最近

産婦の自殺率が急増してるとは

小耳に挟んでいたけど

どうやら本当だったらしい。

 

それで病院側が

そういう精神面もケアする目的の

一つとして鳥居入れているらしい。

 

でも、なぜ普通分娩はいいのか

それだけがひっかかることだけど。

 

せっかく来てくれたんですけど

生きてるだけで丸儲けなんで

大丈夫ですって。

それより、わたし以外の

他の人のところに行ってあげてくださいって

言った。

なぜならカウンセラーひとりだけらしく

全部の産婦さんを見てあげられないから

優先順位として

なぜか帝王切開産婦らしい。

 

それっておかしな話。

だからわたしはもういいから

誰かひとり救ってあげてと。

 

わたしは話相手もたくさんいるし

サポートしてくれる人がたくさんいるから

大丈夫って言ったけど

家族構成だの交友関係だの

いろいろ質問されて

結果30分もかかった。

 

とりあえず傷が痛いってことだけで

訴えることが今のところないですって

家族も仲良しだしって。

 

幸せや、安定してる方が

疑問なようで

疑わしいって感じだったけど

まじで、心配ご無用!!って

言って

帰ってもらった。

 

なかなか人って

誰もが悩みを抱えているのが

当たり前だという前提だから

こんなにも明るいと

納得いかないみたい。

それもそれで変な世の中。

 

でもカウンセラーはとても

大事だと思うし

もっと米国みたいに

当たり前に使える期間として

普及されたらいいのにと思う。

 

ただ、今回みたいに

必要としていないのに

国の配慮とはいえ、強制というのは

おかしな話だなと思った。

 

なんでも極端だよね〜〜〜。

現状の深刻さをもっとわかれば

こういうスタイルではないと覆うけど

国のすることって

ほんと上っ面。

 

せっっかくここまで動き出したら

もっと有意義にカウンセラー制度を

動かすべきだと思ったな。

 

というわけで

人生の大きな点である

出産を無事乗り越えた!!!!

 

本当に妊婦生活苦しくて

手術も怖くておそろしくて

痛くて、身体ぼろになったけど

それでも

すーちゃんがわたしの娘として

産まれてきてくれたことが

すべて吹っ飛ばすぐらい

幸せ。

 

たぶん永遠に

出産話は言うて聞かせていくけどね。

 

上の二人も

わたしの壮絶妊婦時期と

産後のえげつない腹を見て

少しは労ってくれるように

なったわ〜〜。

 

まさか結婚して苦労して

しんどい離婚もして

シングルにもなり

まさかこの先に

こ〜〜んな幸せが待っていたなんて。。。

 

いろいろ人生あるし

すべてたらればで

パラレルワールドで

ifの世界だけど

今のところわたしの人生は

大きなビックウェ〜ブが

やってくるけど

うまい具合に乗れてる気がします。

 

まさかのまさか

このわたしが3児の母になるなんて。

誰が想像しただろうか。。。

 

一番自由人で

今頃きっと世界のどこかにいるんじゃないかと

思っている人は

数多くいる中で

まさかの地元に帰り着き

三児の母で

母ちゃんやってるなんて。。。

 

わからんもんです。

きっといろんな選択の結果

今に至るんだろうけど

今とっても幸せ。

 

あの日。

ゆあんがお腹にいるとわかった日に

中絶を一回決意し

でも超音波で

ゆあんの小さな心臓を聞いた日。

その日、病院の近くの公園で

タバコをふしながら

子供達の遊ぶ姿を眺め

子供なんて大嫌いなわたしが

最後のたばこを吸い終えて

思ったことは

よし、産もう。

ひとりで育ててやる。でした。

そこからの人生。

めまぐるしかったけど

ゆあんに会えて

離婚をずっとしたかったけど

思いとどまってたおかげで

あんじに会えて

そして離婚を決意し

すみれに会えた。

 

そして、これからひろしと

手をつないで

子供達の未来を見守って行けるなんて

とてもとても贅沢な人生。

 

これから先、一文無しになろうとも

家族さえいえればなんとか

楽しんで人生を歩めそうな気がする。

 

子供がいれば、いる分

お金もかかるし

時間もつぶれたりして

自由も無くなるけど

子育てなんてあっという間。

 

10年先なんて

タイムスリップしたぐらい

一瞬でやってくる。

 

そんなめまぐるしい毎日が

嫌だと思うけど

そんなめまぐるしい毎日が

充実感というものだと思う。

 

子供がひとり増えれば

その分心配事も

不安も増えるけど

それでもいないより

いてくれた方がいいって今は思えるようになった。

 

わたしも少しは成長したかもな〜〜。

 

さ〜〜て。

あとは回復するのみ。

 

産後1ヶ月はとても大事。

一週間は身体によ分なものをつけたら

あかんとばあちゃんが言ってたを

守ってお風呂も入らず

汚いけど過ごした。

 

今は予想通りの貧血で

当分毎日鉄剤を打ちに行く羽目になっているのと

なぜだか理由はわからないけど

産後、血圧がめちゃくちゃ高い。

おかげでいつ降圧剤を飲まなければいけないかといことで

母乳はあげれていない。

 

完全ミルク。

そして完全初心者。

 

あんじもゆあんも母乳育児だったから

泣いたらくわえさせたらそれでよかったけど

ミルクはそうともいかない。

 

でも、ミルクだから

みんな家族が飲ませられる。

育児に参加できる。

 

それはそれで良かったのかもしれない。

 

あんじとゆあんの時は

誰も助けてくれなかったけど

今回はひろしという助っ人がいるのが

とても心強い。

 

むしろあれやこれや用事していたら

注意される。

 

脳みそはフル回転だから

ついついやっちまう。

 

おちづの同級生も

半年前に3人目出産で

旦那ふ参加型家族なので

働きすぎて肺炎にかかった。

 

もう、若くない。

のに脳は元気なもんで

ついつい動いてしまう。

 

これがやっかい。

自分の身の程を知って

自分が思っている以上に

休まないとだめ。

 

じゃないと

10年後20年後に

どっと身体が悲鳴をあげる。

そん時には既に遅しだから。

 

今のうちにゆっくり

養生して

来月復活をとげたいと

思います。

 

この感じなら

111月1日から再開できそうです。

 

なもんで

もうしばらく

お待ちください。

 

というわけで

おちづの出産奮闘記でした。

ちゃんちゃん。