果てしなく続くストーリー

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5月の営業は

10日からスタートになります。

 

ただいま!!

抗体検査もPCR検査も陰性でした。

ほ。。。

 

まあでも、神奈川で

一番人がたくさんのところに行ったのは

このPCR検査の場所。

 

あとは、ほとんど車で移動して

不動産屋、大工、家族、フリースクールの

人たちにしか会ってない。

 

むしろ徳島にいる時より人に

会っていないかもしれない。

 

神奈川の一週間は

本当に毎日朝6時に起きて

そっから、もうあっちこっち

行き着く間も無く稼働し続け

21時には全員爆睡の毎日。

 

家に帰ってくるときはもう

ひろしもわたしもくったくたの

かなり濃厚な毎日だった。

 

お客さんに神奈川での

物語を楽しみにしていると

言われたので

すべてここでがーーーと

書いておきますね。

 

神奈川に移住しようと決意した

大きなきっかけはあんじだった。

 

あんじが生きていく上で

徳島県でいても

十分な支援も受けられないし

彼を育てるのが難しいと

自分たちが思ったから。

 

そして、見つけたオルタナティブスクール。

国の認可する学校ではなく

不登校の子供達が行くフリースクールでもなく

自由な学校へ通わせたいと

調べたら、ひろしの実家の近くに

それがあった。

 

そこまでは話したと思う。

 

あ、そうそう。

そもそもこの4月末に神奈川行きを

決めたのは

学校はもちろんだけど

ひろしの縁で繋がった人が

持っている家で

店と住居が併用してできるかもしれないというので

その家の持ち主と面会をして

お互いの条件だったり、希望だったりを

話し合いをするために

計画してたのだけど

行く一週間前に

そこの家の方が亡くなってしまい

相続争うが始まったと連絡があり

その家で堂の河野という話は

当分延期ということになった。

 

でも、その行くついでに

あんじの学校も訪問する予定だったし

もうひろしもわたしも神奈川で

どうにかして移住できないかと

神奈川へ行く一週間、

ものすごいスピードで

いろんなことをした。

 

それは、まず他の物件をリサーチすること。

せっかく、どうせ行くのだから

物件を探して、自分の可能な家を

見つけれたら、、、と。

 

それで、まず一見目の不動産と

話をさせてもらったけど

まず家を探しですけど

いくらぐらい住宅ローンが借りれますかと。。

 

え???いくらまで??

 

希望や理想の家を探すのではなく

いくらが限界か知ってから

それぐらいの物件を探す。

なるほど〜〜〜。

 

全くそんなことを知らなかった

おちづとひろし。

 

そっか、、、。

まずは仮審査を通してみてくださいと。

 

でもその前に、家がいくらで

住宅ローンが35年マックス。

月の返済額を叩いて

これぐらいだと返済できるねみたいな

感じで

それぐらいの家を探し出した。

 

そしたら、三浦半島という

神奈川でもちょっと田舎のところで

でも観光地でもあり

そこのものすごいでっかい物件で

価格もそこそこの物件を見つけた。

 

そしてそこの不動産とやりとりをする中で

中古だからどれくらい修繕費が

かかるかもその時にしっておきたいねと

だれかそういうのわかる知り合いいない?と

ひろしに。

 

あ、いるわ。聞いてみる。と。

 

そしたら、まさかの

結構でかい建築会社の社長が

来てくれることになった。

 

え?大丈夫なん??って。

 

いいよ〜〜〜。って。

いうてくれたらしく

ちなみにどこの不動産?って

聞いてきたから、言うと

え、その担当ってこの人?って。

 

え?そうだけど、なんで知ってる??って

なり。

 

え、そいつ俺の後輩。

 

え〜〜〜〜〜〜〜〜!!!みたいな。

 

若い時にその担当者に

ひろしの友達はおいたしたんじゃねーかって

ほど、その担当者は

ご挨拶した時から気に食わなかった。

 

うんともすんともいわず、内覧中の

家の中でぼけーーーとつったたまま。

 

質問しても、声も小さいし

答えもあやふや。

どついたろうか思ったけど

家はすごく良かった。

庭も広くて雰囲気も最高だった。

 

でもひろしの友達に

ここ、修繕費だけでものすごいかかるよって。

 

ひろしとおちづは

家を見る前に、少し早く街を

見るためにうろちょろしてみたんだけど

街が死んでいた。

家はめっちゃかっこいいけど

一歩外に出たら死んでいる。

街が。

 

いっそ、何もないのなら

納得もできるけど

人もいるし、家もあるし

商店もある。

でも終わってる。

 

そして、その後街場の金融に

ローンの相談に行ったけど

結果通らなかった。

その日から目まぐるしく色々

ありすぎてこの物件のことも

すっかり忘れて

徳島に帰ってきた次の日に

連絡があった。

 

街の金融に行ったことすら忘れてた。w

その家をそもそも買うのをやめていたので

ローンが通らなかったのは

別に痛くも痒くもないけど

きっとそういうことなんだろうなと。

 

こういうエネルギーのある事業者で

小さい子供がいる家族が

街にやってきてもそうやって断ってたら

じじいばばあしかいなくなる。

 

神奈川で過疎化がかなり進んでいる街だった。

それは行ってから聞かされたし

自分たちの目で見ても、魅力がなかった。

 

私が小さくてそこで成人するまで

暮らさなきゃならないなら

親を恨むだろうと思ったので

ひろしにそう直接伝えた。

 

そして、物件に行く前から

峰の鼓動がバクバク言い出して

ひろし。。。胸が痛い。

どうしよう。。。

そこが魅力的で住みたいと

写真で見て思って期待しているのに。。。

行く前から胸騒ぎしかしない。。。

 

またまた。。とひろし。

調子悪い??って。

 

でも、わたしのこの胸騒ぎは

当たった。

 

そして、この日あったひろしの友達が

まあ、せっかく神奈川に一週間もいるんだし

物件色々見てみたらと

知り合いの不動産屋さんを教えてくれた。

 

早速連絡をしたら

次の日にひろしの実家まで来てくれた。

 

そして、まず物件を探す前に

今の私たちがどれだけ住宅で借りられるのかを

計算してくれたり

いろいろ相談に乗ってくれた。

 

え??不動産屋ってこんなことまでしてくれるの?って。

 

さすがひろしの友達。って。

信頼してる人が信頼している人を紹介する。

このシステムはすごい。

いいグルーブだ。

 

で、実はわたし本も出していて

Amazonでも一位なりましたと。

 

え??!!!

そんなすげー人、引き寄せたん。

やばい。

 

そりゃすごいわな。と。

 

それで、その日

じゃあ会社に戻って

今ある物件でいけそうなもの

送りますねと。

 

そしたら、2時間後50件ぐらい

ぶわーーーと送ってくれた。

 

それを見て、2時間以内に

連絡をして欲しい。

次の日、内覧行きましょうと

次の日いろんな気になる物件を

あっちこっち見に行ったというわけ。

 

そして、すごくいい物件を見つけました。

そこは、茅ヶ崎。

海まで徒歩8分。

これはひろしが撮っていたらしい。

名付けてお月様とおちづ。

どちらも陰。w

 

結論から言うと、ローンはまだ通ってない。

ゴールデンウィークに入っちゃったから

全てがストップ状態。

そして、私たち以外にここの物件を書いたい人が

いるらしくその人も審査を通している段階。

 

もし、ローンがライバルより先に通れば

この物件はわたしたちのもの。

ということは年内中に移住します。

 

でもローンが通っても、物件が

ライバルの方が先に手付けをしたら

徳島でステイしながら、審査が通った

金額の物件を探していく。

 

もし、ローンも通らなかったら

そもそも買えないので

徳島にステイで来年の4月以降に

また再ローントライで

一からやり直しです。

 

そして、もう9割ほど決まっている話なので

ここで話しておきますが

今の店舗は神奈川に行かなくなっても

7月から8月の間の予定ですが

閉店することが決まりました。

 

私のこの作り上げた店を

買ってくれる事業主さんが決まり

その人たちの都合で動く形になりました。

どこのお店の方が来るかは

ちゃんと決まり次第またお知らせします。

 

なので、徳島にいることになっても

神奈川に行くことになっても

徳島での店としての営業は終わります。

 

オンラインとサロンはお家にて

再開する予定です。

なので、通販のやり方がわからないけど

うちでお買い物したい方は

別の変える方法をお伝えしますので

声かけしてくださいね。

 

そして、大きな要員である

暗示の学校。

オルタナティブスクール。

 

アメリカの自主性の学校を

重んじた学校と聞いていたんだけど

結論から言うと

ひろしとわたしが思っていたような

具合ではなかった。

 

ん???ってことがいっぱいあったのだ。

 

たぶんひろしとも話したけど

最初に立ち上げた人たちはきっと

忠実にしていたんだろうけど

代がどんどん変わって

なんかおかしなことになったんだろうねと。

 

だれかにとってはそこも必要な居場所なんだろうけど

私はここにあんじを通わせたくないと

思った。

 

オルタナティブスクールと書いているけど

全然中身は違うかった。

 

で、どうしたもんかと

ここも壁にぶち当たった。

 

ひろしが

その建築の友達に

あんじのことを相談してみた。

 

彼は福祉にも携わっているし

子供もたくさんいるし湘南は地元。

 

そしたら、

フリースクールをずっと経営している人

ひろしも知ってるじゃんって、あの人。って

なって。

 

ひろしも、あ、そっか

彼に聞いてみたらいいのかと

早速連絡したら次の日会ってくれると言う。

 

なんて、清々しいスピード感。

 

そして、また次の日

彼に会いに行った。

 

会った瞬間からわたしもあんじも

すーーと彼と一緒に入れた。

 

大体あんじがすーーと溶け込める人は

私も溶け込める。

あんじがダメな人は私もダメだったりする。

 

そして、その人に

暗示の相談をする前に

わたしもきっと発達なんだと思うって

話すと

さらっと、そうだろうね。と。

 

え!!!

 

そのj人いわく

アトピーの親の子がアトピーになるのと

同じように発達のこの親が発達なんだと。

 

だってさ、発達じゃなかったら

そんな普通の人と違うような人生送らないでしょと。

そんなやつっておもしろい。

そしておもしろいやつはおもしろいやつに

惹かれる。

 

結果、その変なやつと変な奴の間に

できた子は人と全然見る世界が違う子供が

できる。と。

 

この話の動画はファンクラブ通信で

アップしているので是非みて欲しい。

 

彼の言葉は全てストンと落ちた。

 

今まで色んな専門と言われる人に見てもらったけど

検査をしてその数値でこの子は発達とか

発達じゃないとか決められたけど

ひろしの友達は

あんじと数分過ごして

すぐにあんじを解読した。

 

あんじは脳内多動だと、。

 

脳内多動??

 

思考があっちいったりこっちいったりするんだと。

 

でもきちんとできることもあるし

自分を自制することを生きていく過程で

体に覚えさせていかないといけない。

なぜなら彼は大人になって社会と関わらないと

いけないから

ちゃんと学校というところに通った方いいと

言われた。

 

フリースクールや自由な学校

いろんな楽しいことを企画してくれる団体は

たくさんあるけど

じゃあ、その子を社会に出るまで責任を持って

支援してくれるんか?と。

 

そうじゃない。

と彼はいう。

 

彼は子供にではなく親をずっと支援している。

そんな子供を抱えた親はそうやって

いろんな施設にヘルプを求めるけど

預けっぱなしで安堵して

でも無何か起きたら施設に責任を求める。

そうじゃないよね。と。

 

親がもっと子供のことを

専門的に勉強する必要があると。

 

まさしくそうだと、思った。

 

病気になって、医者に言われたまんま

されるがままではなくて

自分でちゃんと自分が患った病気を

勉強する、処方された薬がなんでできているんか

知る必要があるし

どうしてこんな病気になったのか

自分の生活を見直さなければ

解決しない。

 

それと同じだった。

 

あんじにというか

ひろしもわたしも

この人が近くにいていろいろ指南してもらいたいと

思った。

 

すごく信頼できる。

言葉はストレートだけど

だからいい。

 

私と一緒だ。

 

そっか、だから私もこの人に

一瞬で心を開けたのか。

 

私も発達なんだ。

薄々気が付いてはいたけど

納得した。

 

あんじという人間に対して

どうしたらいいのか

少しアドバイスをもらっただけなのに

 

すごく考えさせらたし

はっと目が覚めたこともあって

さらに神奈川に行きたいと思った。

 

私たちが子供に求めていることは

勉強ができることではなくて

私たちが死んでも

この社会でとりあえずいきていける知恵を

持つこと。

 

誰でも生きてりゃあおは進めるし

赤は止まれだとわかるけど

すべての社会の仕組みが信号と同じで

ルールがあるけど

それをすべて当たり前にできることばかりじゃないし

解釈もあんじみたいな子供には難しい。

 

わざとできないではなくて本当に

できないし、わからない。

 

そんなことをひとつずつ

あんじが成人する18歳までの

あと9年でできる限りのことを

叩き込まないといけない。

それをひろしと考えた時に

私たちだけではとてもじゃないけど

無理だなと。

 

でも私たちが一番あんじを

理解していかない解けない。

それをひとつひとつクリアにしていく。

 

それが私たちにできること。

あーしておけばよかったと

思いたくないから

あんじの将来はわからないけど

できるだけのことはしたいと思う。

 

なにかが確実に動いた

一週間だった。

 

すべて予定していたスケジュールは

ものの見事に崩れて

思っても見ない展開になった。

 

一年後、自分がどうなっているか

わからないし、こんなことになるなんて

一年前は想像もつかなかったと

思う人生だけど

この一週間は

そんな1年の一週間バージョンだった。

 

こんな一週間んになるとは

思わなかったしこんな展開になるなんて

思っても見なかった。

 

40年生きていれば、本当に

すったもんだといろんなことを

経験してきた。

 

そして、感じることは

風が背中を押して勝手に前に進む時は

そのまま追い風に乗って進んでいこう。

 

そして追い風が吹いたら

無駄に抵抗せず、さくっと諦める。

 

とんでもない出来事が起きたら

これは試練だと思うようになった。

 

表面的に見たら

神奈川に行けないということになった場合

残念と思うかもしれないけど

私は、徳島にステイになったら

きっと私の人生はもうこれで

試練はとりあえず今はないということだと

思う。

そして神奈川行きが進めば

私の人生まだまだ試練が残っている

修行が残っている。

大変だということ。

 

神奈川に移住となると

本当にものすごい大変。

家だけじゃない。

店もとなると、もうとんでもない。

 

家を手に入れても、修繕、リフォーム

引っ越し、そっから

一から商売を始めて。。。

子供の学校選びと

生活がガラッと変わる。

 

いつも頼っていた親もいない。

 

なんだかんだと一人っ子で

親におんぶにだっこで生きてきた。

40歳にもなって。

3人の親だけど

自分的には全然まだまだ子供感覚で生きている。

 

これが神奈川へ行くとなると

生まれて初めて親離れ。

もう親の手は借りられない。

自分のちらで立って、子供たちを引率して

いかなければいけない。

 

どう考えても神奈川行きが決まれば

これは私の人生の試練であり修行のスタートが

はじまる、

 

でもワクワクする。

修行は嫌いじゃない。

だって成長できる。

人としてキラキラ輝きが増すから。

 

ここんところずっと

風が吹いている。

追い風だったり、向かい風だったり。。

でも風は止まらない。

ずっと吹いている。

 

移住ができるかわらかないけど

決まった時にすぐ動けるように

店を売却するのに

色んな人に声かけていこうかと

話し合った次の日に

初めてお店に訪れたお客さんが

実は店を探していて、、、という話になり

とんとん拍子。

 

だめにはなったけれど

湘南になる家として住めて、商売として

営めて、しかもものすごい涎が出るy言おうな

価値のある日本家屋に住めるかもと

いうきっかけがあったから

そこへ行きたいと行動を起こしたから

神奈川の旅がこんなハプニングだらけで

毎日遊園地にいるようだった。

 

一週間、湘南をぐるぐるぐるぐる

車で行ったり来たり。。。

もし今回の旅で物件が決まらなくても

大体の地理や街の雰囲気は

理解できた。

 

ひろしも湘南で住んでいた時とは

また目線が変わったようで

子供を育てていく環境が

ものすごく充実していて整っている

湘南に改めて感心していた。

 

わたしはとにかくビルがあろうと

団地やマンションだらけで

道もいっぱいあって、車も人もガンガン

いるけど、

目に見えてくるのは半分自然がたくさんあることに

驚いたし

公園もどこもバカデカくて

小さい子が走り回っても

危なくない設計をされていて

今日はどこの公園に行こうかと迷うぐらい

たくさんあったのに感動させられました。

 

徳島県ももっと子供の過ごせる

公園や広場をもっと作って欲しいなっと

思ったな〜〜。

 

そして、環境がいくらよくても

条件が良くても

人がすべてだということも

再確認できた。

 

人が全て。

そこに関わる人が

何か自分と感覚的にだったり

性格的だったり、思想的だったりで

合わない人と無理やり進めても

結果はいつも最悪になる。

 

今回いい物件だったけど

不動産屋の態度が気に入らないかったし

街の人たちの感覚が違うかったり。。

あ、無理だと、付き合いたくねーと思った。

 

暗示が活かせたい学校もそう。

学校に入った瞬間から

帰りたいと思った。

そこにいる子供たちの雰囲気とか

先生の雰囲気、話し方、接し方。

全て無理だった。

体が全拒否した。

あんじもひろしも

同じだった。

 

やっぱりなと。

でも、テント店がつながり

歩む方向の矢印がどんどん道に

描かれて、そのまま

進んでいったら

最初に描いてた未来と全く違う

未来になったわけ。

 

ま、それが俺たちだろ!と

ひろし。

彼はものすごく淡々としている。

だから一緒にいて安心する。

 

もし物件が手に入らないという結果も

これも自分たちの力不足という

単純な話。と。w

誰のせいでもなくね。

でも子供達のために

徳島にいることになれば

それなりにこっちでできることは

やっていきたいし、行動に

移していこうと思う。

 

彼がいつでも一人になても

生きていけるように。。。。

 

とまあ、こんな一週間だったわけです。

 

どうでしたか?

私の物語。

まだこの果てしなく続くストーリーは

完結してないよ〜〜。

 

さあ、神様。

わたしの駒をどう動かすの???

 

また近況をお伝えしますね〜。

 

今日はここまで。