end of yaer

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徳島に戻ってきて

11年が経ちました。

 

早いです。

ほんと。

もうすぐ2015年が終わる。。。

今年は私の人生においてかなり重要な年になりました。

一杯苦しんで、いっぱい泣いて

自分という人間と初めて向き合ったな~~と

感じています。

 

 

ずっと自分って変なのかなって

だめな子なのかなって生きていた幼少時代。

 

すごく生きにくいとずっと感じてた。

ずっとずっと。

 

何時どんな時も、多数決の中のYESでもNOでも

なかった。

それが、ただのわがままで片づけられるという

日々。

 

誰も自分の意見に賛同はしない。

 

なら、独りでするしかないし、解決していくしかない。

だけど、そんな自分は強くない。

寂しかったし、悲しかったこともたくさんあるけど

どうしても人の意見に合わせられないという根本的な気質を

妥協することができず

寂しさを悟られないように

かなりクールな人間を装ってきた。

 

集団行動に合わせない。ではなく

合わせられない。。それも一つの生きる上での障害だったと思うけど

「反抗」というレッテルを大人たちに貼られ

問題児。という形で

いつの時代も大人に片づけられた。

 

 

人を傷つけるようなこともしなければ

警察にお世話になることもしなかったけど

やりたくない、したくない、考えが違う

自分を素直に表現することで

教師たちは私にてんてこまいで

校長室で過ごすことも少なくなかったし

母親もずいぶん学校に呼び出されて

今でも眉間にしわを寄せて

私の学生時代をものすごく嫌な思い出として記憶していて

ほんまに迷惑かけられたと話す。

 

ずっと逃げたかった。

ほんとうに。。。

 

 

でも、県外でもなく

一番最初に出たのが国外。

 

大好きだった彼が二股をかけてたことを知り

とにかく日本にいられないと感じ

外国と言えばロスでしょ!!って

アメリカへ逃亡したのがきっかけ。

 

そこで自分は変じゃない。

これって個性?

私よりクレイジーで、

やりたいことをやっている人がたくさんいた。

個性を認められる世界があるんだって

知ったのが16歳。

 

でも日本に帰ると同じ。

母はやっぱり認めてはくれない。

私はダメ人間。

 

変わったことをしたいと思うこと自体

間違ってる、社会不適合者と言われた。

 

やっぱりいられない、ここにはと

家を出たのが18歳。

 

つぎはロンドンに逃げ、

そして東京へ逃げた。

 

でも。。。

ゆあんが産まれて、1年東京という大都会で

子育てをして初めてホームシックにかかった。

 

徳島に帰りたいって。。。

そう思った。

 

東京にはなんでもある。

美味しいものも、素敵は服も、おもろいやつも。

どれも手が届くところにある。

 

でも届かない。

自由がきかない。

私は子供を育てている。

家事もある。

少ないお給料でやりくりして

お金がきつきつなのは、お前がなんか使ってるんじゃないかと

疑われたりして

お金や家族のことで

他人とこんなに争わないといけないのかと

悲しい思いもした。

 

友達はばりばり社会にでて

人に出逢い、刺激的な世界にいて

私はなにしてるんだろう。。。って

ゆあんが無邪気に笑いかけてくれても

微笑み返すことはできなかった。

 

やっぱり、独身が良かった。

結婚なんてするもんじゃない。

子供なんて。。。そう思ったこともあった。

 

周りはみんなキラキラしていて

仕事やプライベートで充実してることを

聞くのがとても嫌だった。

私だって、あんたらと同じなら

あんたたちよりきらきらできたのに。。って。

 

テレビで、ここが美味しい店って

紹介されてる。。。

近所にあるってわかっても、お金の余裕もないし

赤ん坊を抱いていくような場所はどこにもない。

 

近所に散歩に出ても

公園に居るのはお金持ちの子供とベビシッターばっかり。

 

私は一体どうなるの。。。このままなんの希望も抱かず

歳を取っていくの。。。って思った時に

涙が出た。

なんなのこの人生。。。って。

望んでないよ、こんなこと。って。

私じゃないし。

私の人生じゃない。。。。

楽しくない。

 

 

東京なんてくそくらえ!!って思った。

学生の時、田舎なんてくそくらえ!!って

都会に生まれたかったって幾度も思って

そんな自分を想像したのに。。。

東京で輝いてる自分を夢見ていたのに。。。

 

 

帰ろう。徳島に。って。

素直に思ったの。

 

海がみたいなって。

家の近くの海が見たい。。。

しんどくなったらいつも行っていた海。

 

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こんなきれいな

心を洗ってくれる海のそばで育ったのに。。。

どうして離れてしまったんだろう。

こんな近くに豊かさがあったのに。。。

なんで気がつかなかったんだろう。。。。

 

思い立ったら吉日の私。

旦那に、私帰る。って告げた。

 

あなたがどうしようがどっちでもいい。

東京に残ろうが、一緒に来ようが

とにかく私は徳島に帰る。ってね。

止めても無駄。

 

それから11年。。。。

 

浦島太郎状態で帰ってきた徳島。

右も左もわからない。。。

それでも仕事を始めて社会と関わりを持って

たくさんの人に出逢い、責任のある仕事もして

子供のこともちゃんと考えられる余裕もできた。

 

めまぐるしい月日が流れた。

 

そして、今。

あの時の私は、今の私を想像できただろうか。。。

 

自分の病気ともちゃんと向き合おうと思ったのも

帰ってきてから。

 

ごくごく自然に、、、、。

導かれるようにここまできた。

 

全く興味もなかった健康。

食べ物で人間が作らている。

摂取するもので身体が壊れていくこと。

 

最初は薬、医学に疑問をもった。

なぜ病院に通って治らないと言われるのか??

なぜ???なぜ???

なんの疑いもなく鼻水が出れば病院に行き

熱が出れば解熱剤を飲み

生理がひどければ鎮痛剤を飲んでいた。

 

もちろん持病になると言われた病気の薬に関しては

毎日、欠かさず飲みなさいと言われて

毎回まあまあの金額を払っていた。

 

おかしい。。。。

違う。。。

なぜ良くならない。。。

 

私の中の追求心が炎をあげた。

それからひたすら追求し続けたことで

ここまで来て、自分だけではなく

たくさんの人に自分を守る方法を

伝えていけている。

 

変わっていると言われた自分の気質の中の

探究心を潰すことなく生きてきたおかげ

妥協しない性格のおかげで

ここにたどり着いた。

 

私の言ってることが100%正解なのかというと

それはわからない。

人それぞれ伝え方も

やり方も違う。

健康を伝えてる人は五万といる。

 

私はその中の一人に過ぎない。

 

でも、たくさんの人に支持してもらえて

支援してもらえてるおかげで

お店も潰すことなく継続できている。

 

本当にすべての人に

ありがとうです。

 

そして、たくさんの人に愛してもらって

こんなに幸せで、充実した日々を送れている。

 

結局離婚をしてしまったけど

結婚して、他人と生活を共にし苦楽を経験させてもらい

かけがえのない子供達を授かることができて

人を育てるという大役と試練をもらい

たくさんの出会い、別れを繰り返し

再度関係を修復したり

もう二度と会えなくなるという死とも向き合わせてもらい

人の温かさを知り、愛を感じることができている。

 

ここ、徳島で人生の修行ができて

たくさんの愛をもらって

ここ徳島に産まれてこれて

最高に幸せだと感じているの。

 

 

もし病気にならなかったら。。。

もし子供達ができなかったら。。。

きっと、未だに徳島には帰ってきてないし

シャンプーがどうとか、、、。

ジャンクフードがどうとか。。。。

そんなこと考えてなんて生きてなかったと思うの。

 

そしたらきっと、また人生が変わってて

命も削っていたかもしれない。。。

 

どちらの人生もを味わうことはできないから

比較はできないんだけどそれでも

想像するだけでも

今の人生で良かったなって思う。

こういう知識や経験があることで

同じポイントにたどり着いても

同じ景色、同じものの見方、同じ価値観ではなかったと思う。

 

人はなんでそんなことにこだわるの?

何でもいいじゃん。美味しいじゃん。

ヒートテックでなにがいけないの?なんていう世論の中

生きていくにはまだまだ苦しい。

 

流行りな感じで

オーガニックだとか、ナチュラルだとか

いう文字だけが先走りしているだけで

実際のところのことは

あまりわかってないのが現状だと感じる。

 

冷えとりにしても

靴下履いときゃ冷えが取れるなんて

雑誌にそう書いてあった。という人も

たくさんいる。

 

え?洗剤とかかえなきゃいけないの??って。

そんなのどこにも書いてなかったって。

 

見た目はおしゃれで、オーガニックという文字があれば

なにも考えずに

それが良いんだと思い込んじゃう。

 

そんな消費者をたくさん見るけど

消費者は何にも悪くない。

 

伝える側、売る側が悪い。

お金の匂いしかしない。。。

 

本当にそれは腹が立つね。

怒りの感情は捨てたけど

騙すのは許せない。

 

その犠牲を払うのは決まって消費者だから。

 

私は絶対にそんな売り手に売り手になりたくないし

そんな会社のセールスマンには成り下がりたくない。

 

こだわりというか

普通に良いものだけを集めている。

身体を害さないものしか置いてない。

 

でもそのすべてが

大衆と違う。

だから

宗教??なんていう人もいる。

 

なかなか分かってはもらえない。

 

でも、毎日毎日こつこつと

人は生き物であること。

人間は自然界のもの。

道路に咲く野草と自分はなんら変わりはないこと。

それを私なりに

当たり前のことなんだけど、気がついてないことを

気付かせることが

私という人間の生きてる使命なんだと思って

来年もしっかり、はっきりと

毒舌で嫌われたとしても

話していけたらなと思う。

 

そして、人間として、女性として

母として、妻として、恋人して

どうしていけば楽しく過ごしていけるか

輝いていけるかという

ヒントを与え続けられたら良いなと思う。

 

本当にたくさんの人に支えられて

愛されてchitreeは輝いてられることを

本当に心から感謝しています。

 

みなさまにありがとう。。。

 

 

今年は本当にプライベートも

山と谷が激しく、試練を与えたれたけど

自分の本当に大事にしなきゃいけないものは

なんなのか

大事にしなきゃいけない人は誰なのかを

わからせてくれた一年でした。

一年を振り返って

結果オーライ!!って感じです。

 

来年どんな年になるのか

わくわくが止まりません。笑

 

楽しみでしょうがないです。

 

仕事納めの後も

毎年恒例忘年会に

5年ぶりに参加することができました。

 

学生時代のクレイジーな私と

素直に向き合ってくれた仲間。

今でも強い絆で結ばれています。

 

本当に幸せな時間を過ごして

本当に心から思いあえる友達が

こんなにたくさんいて

私ってなんて幸せなんだろうな〜〜って

思いながら酔っ払えました。笑

 

学生時代そんな友達に恵まれるなんて

思いもしなかった。

 

お店をして、たくさんのお客さんに恵まれることも。。。

 

あんなに人間として欠落してると思っていたけど

そうじゃなかったなって。

 

誰でもきっといろんな悩みを抱えて

生きて来ていると思うの。

 

それでも必死に

自分に偽らず

まっすぐ生きてれば

人に愛されるのよね。

 

愛を知れば、愛を与えられるし

育てられる。

 

来年も愛をいっぱい与えていける

人であり続けるわ。

 

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今日はお掃除をして

家族でバスケして、ふざけて

じゃれあって

一緒にご飯食べて

お腹いっぱいで幸せいっぱい。

 

家族が愛し合っていて本当に

幸せ。

 

締めくくりは家族の愛だね。やっぱり。

 

家族。

友達。

スタッフ。

お客さん。

すべての人に

支えられて私があるの。

 

本当にありがとう。

 

 

こんな私でも生きてる価値があるんだと

思えるようにしてもらって

ありがとう。

 

そして今年最後に。

苦しみの果てに決別を選んだ

最愛なる元ダンナ様に。

 

お互いの死を見届けることはできなかったけど

東京で出会い、

喧嘩もたくさんしたけど

たくさん愛し合って

かけがえのない子供達を授かって

こうやってお店ができていることを

本当に感謝しています。

 

直接ありがとうが二度と言えないけど

お互い過ごした日々は絶対に間違いじゃなかったし

これからのお互いの人生の糧になっていけるはずだと

信じて、あなたの幸せを願っています。

あなたに出逢えたことで

ここまで導かれて、たくさん経験して

人に愛をたくさん与えらえる人になったと信じています。

本当にありがとう。

 

 

 

そして。

来年も

すべての人が

わくわくドキドキの年になりますよに〜〜。

 

来年は私とゆあんの干支。

 

申年だ〜〜〜。

 

うっき〜〜〜!!!!

Wish your happy new year!!!


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